【歴代主将紹介】第5代 藤田紀一

第5代主将:#68OL 藤田 紀一(1994~1995年)

バブル景気が弾け始めながらも、まだ手厚くスポンサーから援助を受けるチームが多い中、部員が40名を欠きその半数近くが社会人からフットボールを始めたメンバーが占めるCREATORSは、はっきり言って勝利するには厳しいチームであった。

練習メニューも選手で決めるし、試合時のプランやプレーも選手で決める、チーム運営を含め全て自分達で行って来た。

そのようなチーム状況でも「試合中相手に走り勝てれば、試合に勝つことができる!」とほぼ根性論で走り込みを中心に練習をこなした。
木曜日の練習後は、花寿司や山城屋で幹部ミーティングを行ない練習の反省、試合のプランやメンバー検討などを活発に議論した。
勿論お酒を酌み交わしながらの熱い議論であったため、次の週末練習で議論の結論が思い出せないことも多々あり。。。
酔いに任せずしっかりとメモをとることの大切さを学んだ。

このようにどうにかフットボールの体を成しているようなギリギリのチーム状況を選手自身が認識しながらも夏合宿のミーティングで10年後日本一になるにはどうしたら良いか真剣に議論をするなど、松田部長の勢いに飲まれた感は否めないが、夢見ながらフットボールをしていた。

今回のメッセージ作成の依頼を受け、久しぶりに過去の試合のDVD(VHSビデオからコピーしておいたもの)を見てみた。90年代は関東社会人リーグと東日本社会人リーグ2部を行き来する状況が続き、私が主将を務めた94、95年の2年間は、94年に関東社会人リーグ優勝をし、東日本社会人リーグ2部(X2リーグの前身)へ昇格、95年は東日本社会人リーグ2部で2勝3敗、どうにか残留をすることができた。
3敗中の2敗はすかいらーくと日本生命に大差で敗したが、IBM戦では16対14の惜敗、最後ゴール前のファンブル(確かCREATORSレジェンド吉川氏だったかなぁ(笑))で逆転できず今は亡き同期と悔しい思いをしたことを懐かしく思いだした。

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【1995年 五十嵐部長退任時集合写真】

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【2006年】                  【2012年引退年】

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